Floating in Europe

ヨーロッパで言語学を学んでいる学生の日々です

ドイツ旅行(デュッセルドルフ・ワイマール)

こんにちは。そしてお久しぶりです。ドイツに来てはや1ヶ月強。ドイツでは今普通列車なら月1ヶ月、9ユーロ(1200円ほど)であちこちに行き放題という9ユーロチケットが6月7月8月と販売されており、それを有効活用して2回、ドイツ国内旅行に行ってきたので、写真と共にみなさんにシェアしたいなと思います。

 

デュッセルドルフとちょっとだけケルン

デュッセルドルフ

まず7月に行ったのがデュッセルドルフとケルンという、ザ・観光地の2都市。デュッセルドルフはドイツで1番大きな日本人コミュニティがあり、日本ファンにとっては、日本食レストラン、日本食が売っているスーパーや日本のものを取り扱っているお店が並ぶImmermannstraßeがあることでも有名です。

Immermannstraßeの通りの名前は日本語でも書いてありました


ホームシックだったというよりかは、単純に見てみたい!という好奇心があり、行ってみました。行ってみて、本当にImmermannstraßeでは日本語が溢れかえっており、道で日本出身であろう人とすれ違うことが多くてびっくりしました。元々住んでいたオランダのGroningenで1年間に見掛ける日本出身であろう人よりも多くの日本出身であろう人を2日間デュッセルドルフを歩いただけで見かけました笑笑。せっかくデュッセルドルフに行ったからには一食くらい日本食を食べようと思い、行ったのが鉄板焼き屋さん。(たこ焼きが食べたいなという思いに駆られて笑笑)入ったら日本語でいらっしゃいませと声をかけられ思わずびっくりして言葉に詰まりました笑笑。

お箸とおしぼり。久しぶりに見ました笑笑

ドイツ旅行に行ったはずなのに日本のものに触れすぎて、わけわからなくなりそうでした。もちろん街の中の有名な観光地も行ってきました。ドイツの有名な作家ハインリヒ・ハイネが生まれた街としても知られているので博物館に行ったり(ハイネの「本を焼く者は、やがて人間も焼くようになる。」という言葉をご存知の方も多いのではないでしょうか?)ライン川のほとりを散歩したり、有名なメディエンハーフェンの周りをぷらぷら歩いたり、教会を覗いてみたり。

ライン川のほとり

聖ランベルトゥス教会

 

ケルン

デュッセルドルフとケルンは電車で30分ほどなので、ついでにケルンにも寄って、ケルン大聖堂を見てきました。実はまだ行ったことがなく、せっかくならということで半日だけですがそのために寄り道をしました。

あまりにも荘厳な雰囲気で圧倒されました。寄り道して良かったです。

 

 

 

ワイマール

ワイマール

そして8月に入って行ってきたのが、ワイマール。歴史の授業で習うワイマール憲法を思い出す方も多いのではないでしょうか?ワイマール憲法はワイマールという東ドイツテューリンゲン州にある街で開かれた国民議会で制定されたものです。そのワイマール、実はドイツを代表する作家ゲーテとシラーが暮らした街としても有名です。

ゲーテとシラー

同じ時代を同じ街で生きた2人。私は大学で言語学(特にドイツ語)を専攻していますが、ドイツ文学の授業も取ったりしているので一度は行くべきだろうと思いワイマールでゲーテとシラーの住んでいた家を見てきました。

ゲーテの家

シラーの机
 
ブーヘンヴァルト

そしてワイマールからバスで20分ほどのところにあるブーヘンヴァルト強制収容所の跡地にも行ってきました。第二次世界大戦前の1937年にナチスドイツによって作られ、1945年までナチスドイツにとっての政治犯ユダヤ人など23万人以上の人が囚われ5万6000人以上の方が亡くなった場所です。ブーヘンヴァルトは戦後ソビエト連邦の占領下で東ドイツの一部だったのですが、その時の物資不足のため当時あった建物のほとんどは取り壊され、今は更地になっていました。

強制収容所の入り口。時計は解放された時間である3時15分で止まっています。

この1つ1つの枠に収容所が建っていたそうです。そして写真では小さいですが、正面奥の煙突が見える建物は遺体の焼却に使われていたそうです。

ドイツの学校に通う学生は中学や高校の時にドイツ国内にある強制収容所の跡地に、行くことがよくあるそうなのですが、私は日本で生まれ育ったので、行ったことがありませんでした。ただやはりドイツ人の血が入っている以上、一度は行くべきだろうと思い行ってきました。行ってきてツアーに参加して1つ1つ説明を聞いたのですが、知識として理解していたことを目の当たりにする、ということは想像を絶するものがありました。自分の今立っている場所に何百人ものユダヤ人が何時間も立たされ、そのせいで亡くなった人も数多くいると聞くだけで震えました。ナチスドイツはここにいた「囚人」を非人間化し、番号で扱っていましたが、それだけにとどまらず遺体の焼却までありとあらゆる場面で人間として扱われていなかった現実を少しだけかもしれませんが、感じてきました。興味深かったのは、強制収容所の近くにある都市ワイマールとのつながり。連行されてきた人はワイマールの街から強制収容所まで歩かされたそうです。そのため、一般に戦時中ドイツ人は強制収容所があることや、何が行われているのかは知らなかったと言われていますがワイマールに住んでいた人々は駅から連行されていく「囚人」を見ていたそうです。そして地元の企業はナチスドイツの兵士のために月々強制収容所に食べ物やビールを届けていたため、「強制収容所の存在や実態を知らなかった」ということではないそうです。さらに経済的にワイマールは強制収容所から儲けていたみたいです。そして戦後すぐ、強制収容所にいた「囚人」たちは体の回復や、帰る場所がないといった理由で、しばらくそのままその強制収容所に住んでいたそうなのですが、そこでアメリカ兵がワイマールの住民を連れてきて、強制収容所で何があったかを実際に見させて、捕まっていた人と話させる、ということをしていたみたいです。

私個人としては行ってきて自分の目で見ることができて本当によかったです。旅行中は楽しいことにフォーカスが行きがちですが、実際にこのような場所に行き、自分の国の歴史を知るということや、自分の祖先が起こした罪に向き合うことは必要なことだなと肌で感じました。

 

 

 

 

9ユーロチケットは8月までなので、とりあえずドイツ旅行はここまでかなと思っています。今住んでいる街でやりたいこともたくさんあるので。ただ9月に友達に会いに、ベルリンまで行こうかなとは思っています。また行ってきたら写真と共にブログを更新しようと思います。ではまた!