Floating in Europe

ヨーロッパで言語学を学んでいる学生の日々です

卒論の初稿

こんにちは。昨日卒論の初稿を提出して、フィードバックが来るまでの期間、束の間の休日を手に入れました。とはいえ不安なところが多すぎる上、自分でもう修正を入れなければならない点をいくつか見つけているので、数日休憩したらフィードバックをもらうまでの間もまた卒論の修正に取り掛かろうと思っています。今日はそんな卒論と最近神経言語学で学んでいることについてお話ししたいと思います。

 

初稿を書いてみて

ここまで怒涛のスケジュールの中ドイツに行き、インタビューをして卒論の初稿を書き上げて少しホッとしています。ただまだ自分の主張の部分に対してはあまりフィードバックをもらっていない状態なので今回の初稿に対してどのようなコメントがくるのか不安でもあります。フィードバックをもらってから修正して最終稿を提出するまで2週間ほどあると思うのですが、その間に満足のいく卒論を書けるのかとても不安です。私の担当教授はあまりたくさんのフィードバックをしてくれるタイプではなく、コメントがないということは良いということなのか、自分でもっと気が付かなければならないことがあるのか、どうなんだろうと悩んだりしています。ミーティングの時には自分の不安なことを全て聞けるのですが、そんなに頻繁にミーティングができるわけでもないので、前のミーティングから時間が空くとうじうじ悩んでしまいます笑笑。さらに私の担当教授はオランダ出身でドイツ語ネイティブではないので、言語に関してはもう1人のドイツ出身の教授に聞いたりしています。ただやはり内容と言語は繋がっているので、この問題や質問はどっちの教授に聞けばいいだろう?みたいなことが多々あります。ちょっと面倒ですが、2人の教授からアドバイスをもらえるので得をした気分です。

 

失語症

私が今取っている神経言語学の授業では私たちが普段話しているときに脳はどのように働いているのか?ということを勉強しています。詳しくはこちらの記事から。

 

netherlands-university.hatenablog.jp

この分野でのアプローチでよくあるのが、何らかの理由で脳にダメージがあり言語を認識することや話すことに問題を抱えた方の脳とダメージのない脳を比べて、脳がどのように言語を処理しているのか研究するというアプローチです。失語症の方の脳や症状を見てセミナーでいろいろ話しています。失語症といっても話していることが理解できない場合と話していることは理解できるが、発語ができない場合など、どのような脳のダメージがあるかによって、症状も違います。そこでよく言われるのが、知識を持っていることと、それを使うということは脳の違うところに収納されているということ。例を出すと、失語症の方で正しい文法で話せなくなってしまった方でも、2つの文章を見せてどちらの文章が文法的に合っていますか?と聞くと正しいものを選べる方がいるようです。また意味がわかることと、それを言語として話すことも違うようで、例えば日本語を母国語とする方で、失語症になった場合、ひらがなを読むことは難しいけど漢字なら読めるというパターンがかなりあるようです。漢字は文字自体に意味が含まれているので読んで理解することができるが、ひらがなだと音が文字におこされているので音を意味に変換しなければならず、このプロセスが脳のダメージによりできなくなってしまう場合があるようです。もちろん脳も人によって違いますし、脳のダメージもなかなかパターン化できないほど個人差があるので、このような傾向があるという説明しかできませんが、改めて人間の脳は複雑で、でもうまくできているなと感じます。

 

 

先日からオランダのスーパーチェーンの配送センターがストライキしており、よく行くスーパーの棚が空っぽの日が4、5日続いています。もちろん他のスーパーもあるのでそこに行けばいいのですが、ストライキしているスーパーがオランダで一番有名で店舗数も多いスーパーなので少し困っています。今日には労働組合と会社が一度交渉するので、もう少ししたらまた通常通りになるかなと思うのですが。ここ最近オランダではストライキが多いですが(3月は公共交通機関の会社長い間がストライキをしていたので、バスや電車がよく止まっていました)、労働者がストライキという権利を使えるということでもあるのでいいことかなとも思います。日本だと給料などで不満があっても、あまりストライキまでする労働組合は少ないように思うので。ではまた!