Floating in Europe

ヨーロッパで言語学を学んでいる学生の日々です

大学の学校化?

こんにちは。今私の住んでいるところは例年に比べてとても寒く、普段よりも雪が降っています。さすがに自転車に乗れなくなってしまうほど雪が降って少し困っています笑。今日は2ブロック目の成績についてと最近の授業スタイルについてお話ししたいと思います。

 

成績が出揃った!

ようやく2ブロック目(昨年の11月から1月まで)の成績が出揃いました。5.5/10.0で単位取得なのですが私の成績はというと、

ドイツ語 6.8/10.0

基礎ヨーロッパ政治学 9.2/10.0

基礎ヨーロッパ文学・文化 9.0/10.0

というなんともアンバランスな成績でした。ドイツ語の成績だけやたら低い...そして他は思いのほか良すぎる...訳のわからない感じです。ここまで差がつき、逆にドイツ語の成績に少し落ち込みました。ドイツ語で文法も正しく+アカデミックな文章を書くのが苦手で毎回エッセイが真っ赤になって帰ってきます。アカデミックな文章を書くのは本当に難しいです。どうしても私はたくさんドイツ語を話してきたので、口語体のような文章を知らず知らずのうちに書いてしまいます。このコースをとってから、ドイツ語の文章を読むことが増えてきたので、インプットは増えてきているのですが、まだそれを自分のものにできずにいます。言語学習は本当に難しいですね。そして他の2教科はあまりにも良すぎてかなりびっくりしています。本当に実感が全く湧いていなく他の人の結果を眺めている気分です。今の大学の良いところはテスト前に授業のない期間が最低でも1週間ほどあり、1つのテストの準備にかけられる時間が多いのが理由なのかもしれませんね。

 

 

授業スタイル

3ブロック目が始まり、セミナーでも新しい教授に出会うと、様々な授業スタイルがあることが面白いのですが、最近少し気になっていることがあります。私個人として、大学と学校は全く違うものだと思っていまして、大学は根本的には教育機関ではなく研究機関だと思っています。なので、必ず全ての人が通うところでもなければ、何かを教えてもらうという場所でもないと思います。全ての人がそれぞれのレベルでさらなる知識探求をする場所なのではないでしょうか?もちろんこれは少し理想論で、今の社会のシステム上、大学に行かないと就職が難しくなってしまうので、”とりあえず”通過点として大学に通っている人も沢山いると思いますが。でも理想論をベースに話せば、大学はできるだけ自由であるべきだと思っていますし、できるだけ結果主義であってほしいと思います。通いたい人が通い、やりたいことはやりたいだけやり、結果は自己責任といったシステム。最近オンライン化も伴い、1つ1つの課題の確認や、議論で一人一人当てていくシステムが増えていてうんざりしています笑。学校に戻った気分です。課題をやらない人、授業で発言しない人は自己責任ではないでしょうか?いつから当てられないと話せないくらい窮屈になったのだろうとふと思ってしまいました。管理され、やらなければ怒られ、それでとった単位にどれだけの価値があるのか...と思いつつ、やはり現実ではできるだけ全ての学生に単位をあげるためこのようになっていくのでしょうね。皆さんはどう思われますか?

 

 

今ブロックは2つもグループプレゼンテーションがあります。グループワークは苦手分野で、個人で動くのが好きな人なので、疲れることも多々ありますが、とっている授業は本当に面白いものばかりで講義やセミナーはとても楽しんでいます。ではまた!